ヒューマンライツフェスタ2022にてtenboのファッションショーを開催しました(主催:東京都)
ファッションで向き合う ハンセン病の史実
テンボは日本一格式あるファッションショーの舞台
東京コレクションで、ハンセン病をテーマに発信
ハンセン病回復者の女性がモデルとして出演
Amazon Fashion Week TOKYO 2017 S/S
テーマ「HANSEN」
ハンセン病をテーマにしたファッションショーでハンセン病に対する差別偏見をなくしたいという思いで実現。
ハンセン病回復者の女性が世界初ランウェイでモデルデビューしました。
会場:表参道ヒルズスペースオー
後援:東村山市
ナレーション:ドリアン助川
ゲストモデル:はるな愛 井上あずみ ゆーゆ スンヒョク(APEACE) 山田義孝(吉田山田)MIOSIC
メインビジュアル:田川誠
ホルマリン漬けの胎児
療養所内で結婚すると、子供が生まれる時に伝染する事を恐れ、子供を産ませない為に男性は断種を迫られた。女性が妊娠した場合は堕胎させられた。
その胎児はホルマリン漬けにされ標本にされていた。各療養所の建物内で透明の瓶の中に名前が明記されたホルマリン漬けの胎児が、当時の目撃談としても残っている。
[Fetus preserved in Formalin]
When one couple who lives at nursing home got married, people were afraid at having infectious baby and females were forced to do abortion. Males were sterilized as well as females do to avoid giving a baby with Leprosy.
The fetus was preserved in Formalin and considered as specimen. There was the fetus preserved in Formalin that labeled with the each fetus’ name at nursing home.
-メインビジュアル Featured-
田川誠 Makoto Tagawa
無癩(らい)県運動
1930(昭和6)年頃〜 無癩県運動が始まる。
それぞれの県で、どこが早く全部の患者を療養所に入れてしまえるかを競いあった。
その中にはハンセン病の疑いがあるというだけで、実際には関係ない人まで含まれるケースもあった。
これが無癩県運動の始まりである。非人道的運動であった。
[Non-Leprosy movement in prefecture]
In 1930, Non-Leprosy had begun in Japan.
Each prefecture completed how quickly all Lepers can be taken in nursing home.
There was the case that patient with just doubt of having Leprosy had to be at nursing home.
This is how the non-Leprosy movement was started that ignored human rights.
療養所に強制収容される患者
偽名・改名
療養所に入る際に、偽名を名乗る事を勧められるケースが多くあった。家族に迷惑がかかるから変えた方が良いと促されて変える人も多かった。
[Naming themselves falsely]
Before getting in nursing home, patients needed to change their names in some cases. Some people decided to name themselves differently because they were afraid of having troubles in family.
どうして名前を変えなければいけないの?
私は 私だ
WHY SHOULD I CHANGE MY NAME?
I AM I
とプリントされたデザインです。
特効薬プロミンの開発
1947(昭和22)年 ハンセン病の特効薬であるプロミンが日本でも合成される。不治の病とされたハンセン病が、治る病気として認識されるようになった。
しかし病気が治っても療養所から出ることができないらい予防法は残っていた。
[Developed silver bullet “Promin”]
In 1947 (Meiji22), the silver bullet “Promin” became spreading in Japan. The Leprosy known as incurable disease changed into curable disease by the use of this medicine.
People learned to know the treatment, but there were still law that prevents from Leprosy.
ハンセン病を治してしまうビタミンドリンクをイメージしてデザインした栄養ドリンク「DR.プロミン」です。
特効薬プロミン
望郷の丘
東京都の東村山市にある国立療養所の多磨全生園にある人工で作られた丘。
終生隔離されているからこそ故郷を想う気持ちは強かった。患者達の手により高台の丘を作り、そこから療養所の外を遠く眺めて故郷を想った。故郷に帰りたくても帰れず療養所で生涯を終える入所者がほとんどだった。
遺骨は園内の納骨堂に収められ、死んでも故郷に帰れない遺骨は6割を超える。
[The hill recalling hometown]
The hill is located in Tamazensyouen as the National nursing home at Higashimurayama-city, Tokyo. People had strong feeling that missed their hometown because they had been excluded from other communities. People who live at the nursing home built hill, which is called “Boukyou no Oka” that tried to recall their old memories for hometown staring outside of nursing home.
Most of people ended up their life in the nursing home and were not able to go back to home. Their remains were laid to rest in remains center in the nursing home area and 60% of remains could not be returning back to home after people passed away.
-メインビジュアル Featured-
田川誠 Makoto Tagawa
丘から故郷を眺める少女
丘から故郷を眺める大人の女性
時が経っても故郷に帰れない情景
望郷の丘の精霊をイメージ
現在の望郷の丘(多磨全生園)
療養所内の視覚障害者
ハンセン病の症状の後遺症や過酷な労働などにより、視力を失ったりする人も多かった。
視覚障害者を誘導するために鈴を所々に配置して音で知らせる工夫なども療養所内に多く見られた
また点字の書物なども発行されており、中には視覚と指先の感覚も無い人は、舌先で点字を読む舌読ができる人もいた。
過酷な環境がそこにあります。
ショーでは、弱視のモデルの杖に鈴をつけてオシャレに着飾ってます。
-ステッキデザイン 楓友子-
点字プリントデザイン
点字プリントデザイン
点字プリントデザイン
舌先で点字を読む舌読
指先に見られる症状
ハンセン病の患者の症状には、神経が麻痺して指先が曲がった状態になる人もいた。
実際にはハンセン病が直接の原因ではなく、過酷な労働によってそうなるケースも多かった。
今回ショーに出演したハンセン病回復者のマキさんの手をスケッチしてプリントしたデザインも出しました。
LEPLOSY IS GONE
ハンセン病は去った
というメッセージが込められてます。
実際に指先が不自由な人は自分で工夫して、ファスナーの取っ手にひもをつけたりしてました。
ショーではファスナーの取っ手を大きくして指が引っ掛けられるようにしてます。
ファスナーの持ち手は、不自由な指をひかっけけ簡単に開け閉めできるデザイン。
ハンセン病の後遺症で網膜が弱くなっている人は、カラーゴーグルをかけている人もいた。
そこからイメージして赤いサングラスでコーディネートしました。
着物姿
療養所では、自分たちの着る服は自分たちで縫ってました。仕立ては女性患者の仕事でした。成人女性が裁縫が出来て当たり前という時代という事や、患者に縫わせればお金もかからないという事から療養所内で仕立てあげてました。
手や目が不自由な人以外はみな担当してました。
ネパールでのハンセン病隔離
ハンセン病のに対する差別偏見は世界中に存在してます。
ネパールでも同じようにハンセン病に対する隔離があります。
ネパール人のモデルのアンジャナさんにも、登場していただきました。彼女は障害者でありながら、当事者の自立を掲げて活動している方です。
ネパールのハンセン病に対する隔離政策はアンジャナさんから伺う事ができました。
テンボのショーの主旨に賛同していただき参加していただきました。